『泣いた赤鬼』の謎

なぜ青鬼は姿を消したか

 『泣いた赤鬼』のはなし。
 小学生で初めて読んだときから現在にいたるまで、僕はこの話に納得できない。なぜ、物語の最後で赤鬼は姿を消してしまうのか、そこがよく分からないのだ。一般的な読解、つまり青鬼が残した手紙の言い分としては、こんなところだろうか。赤鬼は青鬼と共謀して村人の信頼をかち得たが、このまま青鬼と交流を持っているようでは、その信頼関係が揺らいでしまうかもしれない。一見ごもっともな理由で、青鬼のいじらしさなんかは泣き所らしいのだが、僕はどうも腑に落ちなかった。そんな理由でわざわざ、しかも永遠に姿を消すものだろうか。

青鬼が姿を消す必要はあったのか

 まず検討しなければならないのは、ほんとうに青鬼は姿を消す必要性があったのか、ということだ。
 これは小学校の頃の僕が考えたことなのだが、村人と赤鬼は仲良くなったのだから、狂言を告白して、謝って青鬼も人間と仲良くすればいいのではないか。なんとも小学生的な発想で我ながら可愛いのだが、そこまで突飛でもないんじゃないか。


 村人は謝ったら狂言を許してくれるほどナイーヴではないはず。例えば物語の前半でだって、「心の優しい鬼が住んでいます……」という看板を掲げた赤鬼を拒絶したのだ。これだから童貞は……という謗りを受けるかもしれない。だが、よく考えてみて欲しい。村人たちは、子供を襲う青鬼をやっつけた、という理由だけで赤鬼を信用してしまうのである。色が違うとはいえ、同じ鬼である。村人としては、子供を襲っている青鬼と赤鬼の同盟関係を疑うべきだったのではないだろうか。だいいち、青鬼をやっつけたとはいっても、所詮は演技である。「心の優しい鬼」のことだし、日本刀で切りつけに行くなんていうのはおろか、流血にいたるような攻撃すらできなかったのではないだろうか。その程度で赤鬼のことを信頼してしまう村人というのは、なんとも無用心でナイーヴなのである。


 青鬼はそんなことを考えられるほど賢くなかったのではないか、という問題もある。だが、青鬼が考案した「作戦」と、それが成功をおさめたことを考えると、彼の知能レベルを低く見積もるというのは聊か無理のあることのように思われる。青鬼の考案した作戦、つまり青鬼が子供を襲って赤鬼が助ける、というのは、説話や昔話にはよくある展開であって、つまるところ誰にでも思いつけるような種類のものだ。そうではあるのだが、一方でこの作戦には、大きなリスクが伴う。
 それは、失敗のリスクである。二人の行った寸劇が只の狂言にすぎないというのがバレてしまった場合、あるいは先述したように赤鬼と青鬼の同盟関係が疑われた場合、この作戦は失敗となり、そればかりか、村人と二人の間の関係には、修復できない亀裂が残るだろう。この作戦に失敗は許されないのだ。恐らく青鬼は入念に村人を観察した上で、この作戦が成功すること、村人がナイーヴであることを見抜いていたのではないだろうか。
 以上のことから分かるように、青鬼はリスク計算のできるキレ者なのである。

じゃあなんで青鬼は姿を消したのか

 青鬼が姿を消した理由の不可解さを説明したところで、ここからは、彼が姿を消した本当の理由を考察してみたい。一つ考えられるのは、彼が赤鬼に絶望した、という可能性である。僕はついっきまで、青鬼赤鬼が狂言を演じて村人の信頼を得てから、赤鬼が青鬼の家を見に行くまでの期間をせいぜい数日だろうと思っていた。だが、さっきウィキペディアで確認したところ、その期間は短くはないようである。

そしてついに作戦は実行された。青鬼が村の子供達を襲い、それを赤鬼が懸命に助ける。作戦は成功し、おかげで赤鬼は人間と仲良くなり、村人達は赤鬼の家に遊びに来るようになった。人間の友達が出来た赤鬼は毎日毎日遊び続け、充実した毎日を送る。

だが、赤鬼には一つ気になることがあった。それは、親友である青鬼があれから一度も遊びに来ないことであった。今村人と仲良く暮らせているのは青鬼のおかげであるので、赤鬼は近況報告もかねて青鬼の家を訪ねることにした。しかし、青鬼の家の戸は固く締まっており、戸の脇に貼り紙が貼ってあった。

泣いた赤鬼 - Wikipedia

 二人の作戦には、先ほど言及したものの他に、もう一つリスクがあったのだ。それは、演技という嘘をつくことで、村人と鬼の間にズレを生み出してしまう、というリスクだ。作戦の成功後、赤鬼としては村人と完全に分かり合えたと感じる。だが、村人としては当然、敵である青鬼を撃退した赤鬼さまだから仲良くしている、という側面がある。このズレが青鬼がいなくなるという悲劇を生み出すのだが、肝心の赤鬼はこのズレの存在に気づいていないのだ。ずっと。放置すれば青鬼を切り捨てることになるあの作戦を実行しておいて、近ごろ青鬼が遊びに来ないなーとはナイーヴというかバカの極みである。気づけよ。
 心配した赤鬼が訪れるのを待って数週間。赤鬼は村人と仲良くなったら毎日遊びほうけて自分のことなど忘れてしまったのだ。ああ、あんなバカに手を貸したのは間違いだった。もうこんなところからはいなくなってやる――青鬼がそう思ったとしても無理はない。


 もう一つ、これは僕の中でけっこう有力なんですけど、青鬼の浮浪願望という可能性。青鬼はもともと一人で放浪の旅に出たかったのではないか。だが、それには自分を唯一の友達としている赤鬼の存在が問題になる。かねてより赤鬼は村人と仲良くしたいと願っているから、自分が犠牲になって赤鬼と村人が仲良くなれば、すべてが丸く収まる。僕がこういう発想にいたったのは、たぶん、僕がみた青鬼が何となくクールな感じで、置き手紙の内容も、ただの強がりというだけでなく、そこはかとなく希望が感じられるものだったからだ。
 あるいは、自殺願望だったのかもしれない。とにかく世の中から消えてやりたい、みたいな。そうだとすると、青鬼が残した読みようによっては「恩着せがましい」置き手紙の真意も見えてくる。あれは彼の遺書であって、赤鬼を泣かせることは、彼がこの世に生きた証を残すことだったのかもしれない。
 なかなか想像が膨らむのだが、これも青鬼が消えた理由が十分でないからだ。

まとめ

 なんにせよ、この物語を「自己犠牲」とかそういうキーワードで語りたがる小学校の先生には今も昔もウンザリだ。そもそも、僕は「自己犠牲」とか嫌いだ。
 あえて普通の解釈でこの話からなにか学ぼうというならば、嘘はだめだ、ということかもしれない。というか小学生の僕はそう思った。村人と二人の関係は、二人が寸劇という嘘を使った時点でズレていたのだ。それを修復する唯一の方法というのは、可愛い小学校時代の僕が考えたように、赤鬼青鬼そろって頭を下げることだったのだ。
 そのズレの存在に気づかなかった赤鬼のバカさ加減というのもさることながら、自らが消えることでそれを清算しようとした青鬼もなかなか身勝手である。青鬼がいなくなってはじめて、赤鬼は二人の作戦によって青鬼が疎外されていたことに気づく。赤鬼は、その場で「泣いた」というだけでは済まないだろう。なぜなら、村人と彼の関係はいつまでも、消えた青鬼の存在を担保としたものだから。その事実は、赤鬼の心に重くのしかかるのではないか。青鬼もまた、村人と赤鬼の間に生じたズレの存在をを軽く見積もりすぎていたのだ。